6. 増加装甲九五式軽戦車についてのあれこれ 2001/11/24
仏領インドシナで撮影された増加装甲九五式軽戦車についての考察です。
TakiさんのHP「IMPERIAL JAPANESE ARMY PAGE」のPhoto Gallery of the IJA AFVsコーナーに掲載されている
Japanese Tanks in Indochinaの写真をご参照ください。
2000/8/2〜2000/8/26
投稿者:鉄獅子 投稿日:2000年 8月 2日(水)20時01分33秒
今、PANZER増刊号の“日本の戦車・・"を読んでいるのですが、いやあっ、やっぱり日本の戦車は良いですね。
疑問に思ったのですが74ページのインドシナでフランス軍に接収された砲塔に増加装甲が施された九五式軽戦車と、
八九式中戦車の所属部隊をご存じないでしょうか。PANZER誌で別の写真を見た記憶も有りますが。
独混70旅団戦車隊、独立第49戦車大隊はマレー半島在ですし・・。
投稿者:むー 投稿日: 8月 3日(木)00時41分20秒
>インドシナでフランス軍に接収された砲塔に増加装甲が施された九五式軽戦車と、
>八九式中戦車の所属部隊をご存じないでしょうか。
「日本の戦車」では明確なことは解りませんでした。
「日本の機甲60年」では捜索第二連隊が南部仏印に転進。明号作戦に参加、終戦。と出ていました。
しかし九五式軽戦車だけだったら可能性もあるのですが、八九式中戦車が写っていたのでこの部隊の
可能性は低そうですね。
どなたか情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご一報下さいm(__)m。
インドシナの日本戦車 投稿者:Taki 投稿日: 8月 3日(木)03時36分30秒
むーさんが書かれているようにインドシナには捜索連隊もいましたが、戦史叢書にはサイゴンにいた
独立混成七十旅団のところに戦車隊の表記があります。
詳細は不明ですが、旅団に配属された師団戦車隊ではないかと思います。
あの戦車に関してはフランスの方から問い合わせがあり、4枚の新たな写真を送ってくれることになっているので、
もし部隊を特定できるような物が写っていたらご報告します。
仏印の日本戦車 投稿者:鉄獅子 投稿日: 8月 3日(木)19時58分08秒
むーさん:ご回答有り難う御座います。捜索第2連隊の可能性も有りますね。
捜索56連隊や騎兵55連隊は九五式軽戦車を装備していた時期も有りましたからね。
Takiさん:“果敢砲兵隊の思い出"という本には独混第70旅団戦車隊は終戦時、マレー半島の
クアラカンサル在とありますが、その前は明号作戦時サイゴンのヴィルジル兵営攻撃に参加
したりしているので、一部サイゴン辺りに残っていた可能性は有りますね。
仏人さんから送られる予定の写真期待しています。九五式軽戦車の正面からの写真が有れば、
増加装甲の取り付け要領も判明しますね。
インドシナの日本戦車 投稿者:Taki 投稿日: 8月 5日(土)13時54分18秒
フランスから写真が来ましたので、下記のページにアップしました。1枚は「日本の戦車と装甲車両」に掲載されていた
写真なので省きました。正面から取った写真なので、追加装甲の取り付け方が良く分かると思います。
ところで、この追加装甲は日本軍による物なのでしょうか。日本軍では兵器の改造は禁じられていたはずなので、
どうも私には疑問に思えるのですが。
所属部隊に関しては、ナンバープレートに所属部隊を示す文字があるようなのですが、読み取れません。
写真のプリントからその部分だけ高解像度でのスキャンをしてくれるように今頼んでます。
http://members.xoom.com/taki_spc/indochina.htm
見ました! 投稿者:鉄獅子 投稿日: 8月 5日(土)23時40分31秒
Takiさん有り難う御座います。正面からの写真も有り、PANZERの写真と合わせて増加装甲の取り付け具合が解りそうです。
しかし、3枚とも1950年頃撮影されたものでしょうか?とすると、仏軍が装甲を施した可能性が高いですね。
インドシナの日本戦車 投稿者:Taki 投稿日: 8月 6日(日)01時35分15秒
残りの写真は「日本の戦車と装甲車両」に掲載されていた写真も含めて、1945年10月の撮影です。
二ヶ月というのは改造の為の日数としては微妙ではあります。やって出来ないことはないし、短いようにも思いますし。
投稿者:むー 投稿日: 8月 6日(日)01時47分03秒
>Takiさん
>インドシナの日本戦車
フランス渡来の写真を拝見しました。
クリアーな写真ありがとうございました。
Takiさんの海外ネットワークこれからも期待しています。
>この追加装甲は日本軍による物なのでしょうか。
ここまで大げさな改造は日本軍では到底認められないものだと思います。
戦後フランス・インドシナ駐留軍によって行われた公算が強そうです。
>鉄獅子 さん
>捜索56連隊や騎兵55連隊は九五式軽戦車を装備していた時期も有りましたからね。
ちょっと話はそれますが、東カロリン群島ポナペ島の独立混成第五十二旅団戦車隊は
捜索第五十七連隊の装甲車中隊(九七式軽装甲車7輌編成)だけを抽出して九五式軽戦車に装備を改編、
その後ポナペ島で越後戦車隊(詳細不明)と合併して編成したそうです。
「誠心」 神武屯一五会より
>独混第70旅団戦車隊
この部隊についてもっと詳細な情報はお持ちでないでしょうか?
投稿者:むー 投稿日: 8月 6日(日)01時52分01秒
>Takiさん
>1945年10月の撮影です。
そうなのですか。
たった2ヶ月でフランス軍がそこまで改造するか疑問ですね。
越解放軍 投稿者:鉄獅子 投稿日: 8月 6日(日)10時24分11秒
Takiさん:1945年10月でしたか。日本軍が取り付けた可能性も。終戦直後から越解放軍の活動は活発のようでしたからあわてて、
仏軍が装甲板を取り付けたのかも。
むーさん:ポナペ島の戦車隊、興味深いですね。越後戦車隊強そうですね。気になりますね。
独混70旅団戦車隊、別の資料でも、隊長は元歩兵第83連隊旗手の中林清一大尉で7月17日にマレー半島クアラカンサルに到着。
終戦と共に英軍管理下となり武装解除くらいしか解りません。肝腎の編成、装備は不明。
うっかりしてました! 投稿者:鉄獅子 投稿日: 8月 6日(日)10時44分30秒
昭和19年9月に編成当初、独混70旅団戦車隊はサイゴン市内在で、
軽戦車10両、装甲車3両装備でした。前に書いてましたね。
投稿者:砂漠のたぬき 投稿日: 8月 9日(水)21時36分32秒
>おひさしぶりです。仏印の日本戦車、心配なのはおフランス軍人はキチンと
使いきったのでしょうか?(笑)。しかし九五式や八九式、最後はどうなったのだろう。
べトコンの餌食になったのでしょうか。
仏印の日本戦車 投稿者:Taki 投稿日: 8月14日(月)19時51分13秒
靖国偕行文庫で「騎兵捜索第二連隊史」を調べたところ、以下のような記述を発見しました。
「(第四)中隊はまた、英印軍との対決を予想し、戦車の前部と側板部の装甲を二重に改造することになり(千葉中尉の発案)、
11月下旬から翌20年1月中旬に至り、実施することになった。
(中略)
1月下旬、仏印への移動命令を受け、再び中隊は苛烈な戦場からバンコックに向かい転進を開始。
ぺグーにてラングーン兵器廠で二重装甲改造中の戦車を逐次収容した。」
捜索第二連隊は終戦時、プノンペンで英軍に軽戦車8両を引き渡しています。
以上のことから、フランス軍の写真にある九五式軽戦車は捜索第二連隊の戦車と考えて間違いないと思います。
次に八九式中戦車に付いてですが、捜索第二連隊は中古の八九式中戦車7両の特設戦車小隊を18年にマニラで編成後ビルマに移動、
「断」作戦に参加しています。ただし、この小隊は仏印に移動する前に解散になり、戦車はビルマに置いてきています。
「明号」作戦に参加したもう一つの捜索連隊である捜索第四連隊史を調べたところ、「明号」作戦時の捜索第四連隊には八九式中戦車が
配備されていたことを発見しました。ただし、捜索第四連隊は「明号」作戦後、タイに移動してそこで終戦を迎えてますので、フランス軍の
八九式中戦車が捜索第四連隊車両だと考えるには無理があります。あるいは、タイに移動するときに戦車を置いていったのかもしれません。
フランス軍の写真にある日本戦車のナンバープレートの部分を引き伸ばした画像を送ってもらえることになっているので、それにヒントになる
ような物が写っているのを期待しています。
捜索第二連隊だったのか! 投稿者:鉄獅子 投稿日: 8月14日(月)21時29分46秒
Takiさん:良く調べて下さいました!感謝です。なるほど。捜索第二連隊の九五式軽戦車増加装甲型だったのですね。
また、八九式中戦車が、捜索連隊である、捜索第二、第四連隊に配備されていたとは、驚きです。
また、新たな日本機甲部隊の事実が明らかになりましたね。
まさか、と思うようなことが事実としてあることがあり、以外でもあり楽しくもあります。
投稿者:むー 投稿日: 8月17日(木)08時14分28秒
>Takiさん
>「騎兵捜索第二連隊史」
詳しくお調べいただいてありがとうございましたm(__)m。
あの九五式軽戦車は日本軍が改造したものなのですね(゚o゚)。
残りの八九式の正体が判明するのを期待してます。
富士戦車連隊 投稿者:鉄獅子 投稿日: 8月24日(木)23時11分28秒
捜索第五六連隊回想録に、第三中隊に八九式中戦車を一時装備していたが敵機に破壊されたと有りました。
これは恐らく昭和20年1月に捜索第二連隊特設戦車小隊から引き継がれた二両だと思われます。
九七式軽装甲車がM5軽戦車を擱座させた記事もありました。
ビルマの八九式 投稿者:Taki 投稿日: 8月25日(金)09時52分13秒
鉄獅子さん、
> 捜索第五六連隊回想録に、第三中隊に八九式中
> 戦車を一時装備していたが敵機に破壊されたと有りました。これ
> は恐らく昭和20年1月に捜索第二連隊特設戦車小隊から引き継が
> れた二両だと思われます。
ご明察の通りです。捜索第二連隊史によれば、特設戦車小隊は1月中旬に残存八九式中戦車2両を五十六師団に引き渡しています。
投稿者:むー 投稿日: 8月26日(土)08時16分02秒
>Takiさん
>捜索第二連隊史
FM社の鈴木氏が改造九五式軽戦車に大変な興味を示していました(^^)。
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